承認欲求と自己欲求を行き来する

ヘーゲルの『精神現象学』の一部に書いてあったこと。

意識の成長段階は3段階に分かれる。
1.生死をかけた承認の戦い
2.自分だけの価値の追求
3.普遍性を求める意識の誕生。

まず一つ目の「生死をかけた承認の戦い」とは、とにかく他人に認められたいという欲求からくる行動。例えば学校で無駄に喧嘩して自分の存在を認めてもらうとか、スポーツで勝つとか。

その次の段階である「自分だけの価値の追求」では、一気に他人のことや競争に興味がなくなり、自分の好きなことだけ、つまりは自由を求めるようになる。
しかし、自由になると孤独になり、生きる意味さえも分からなくなる。そして次の段階である『普遍性を求める意識』が誕生する。これは、自分と他人、両方にとって価値のあることを追求するようになる。

例えば絵かきであれば、最初は親とか先生とかに褒められたいがために絵を描く。その次に、そんなのどうでもよくなり、自分が描きたいものを描くようになり、他人にも見せなくなる。そうなると、孤独になってきて今度はその絵をコンテストに出したりするようになる。もとに戻ったように感じるけど、後半は自分も他人も納得する絵ということで最初とは違う。

僕の今の状態はまさに②の後半の状態。もうSNSも全部やめて、他人ともなるべく交流しないようになり、仕事(研究)も自分ひとりでやってる感じ。

僕は今までの哲学者の言葉を少し勘違いしていたみたいだ。例えばサルトルの「人は自由の刑におかされている」と言うのは、まさに②の状態なんだけど、その状態を続ける勇気をもてということだと思っていた。アドラーの「全ての悩みは人間関係の悩みである」というのも、「だから他人と関わることはやめよう」ということだと思っていた。しかし、この二人も実はヘーゲルが言っていることと一緒で、「でも他人と関わらなければならない。その時に衝突するかもしれないがそれを受け入れる勇気を持て」ということなんだと思う。

でも、一筋縄には行かないで、僕が書いたこの図のように、承認欲求と自己欲求を行ったり来たりして、他人と自分が求める普遍的なものにたどり着いて行くんだろうな。



ともかく、今僕は自己欲求に傾きすぎているので、もうちょっと他人のことも考えていこうと思う。