投稿

2017の投稿を表示しています

SNSはやっぱり見ないほうがいい

SNSはアカウント全部消したんですが、Facebookは連絡する人がいたので復活させたんです。あれ、アカウントを完全に消せないんですね。消しても復活できる。 まぁ別に投稿しないしそのままにしてたんですが、久しぶりに見ると、以前スウェーデンに遊びに来てくれた友達が投稿してました。 「今年は写真が一枚もない。」 おいおい、一緒に旅行したやないかい。フィヨルドとかオーロラとか。しかも現地の航空券俺もちやぞ。 こう思っちゃうからSNSって見るもんじゃないですよね。友人だって別に旅行の写真じゃなくて自分の写真がないって言ってるのだと思うし。 哲学とか勉強してると、不幸の原因はとにかく他人と比較することなんです。だからSNSなんて見ないほうがいい。SNSはみんな見栄っ張りなことしか書かないですから。ブログは自分家で独り言喋ってるみたいなもんだからあまり虚栄心は芽生えないけどね。

今から不安2018年

イメージ
来年で任期が切れ、何も動き出さなければ無職で死亡する僕です。厳しい。少しでも運をつけようと神社に行きました。まだ初詣には早いけど、新年にはもう日本にいないのでちょっと早めだけどバチは当たらんでしょう。 これが来年の厄年年表らしいですよ。ってか来年俺後厄やんけ。 おみくじも買いました。 末吉!競争はするなと。ピンボケしとるし。 やばいやばい。2018年どうなるんだ。

大正義台湾料理屋

イメージ
2年ぶりぐらいに家の近くの台湾料理屋行きました。店員も変わってなさそう。俺のことは覚えてないだろうけど。 ランチは七百円(税込)。おかずと揚げ物とご飯と、普通サイズのラーメンついてます。少食の人は食えません。物価が上がっていく日本で、お値段据え置き。台湾大好き。

旅行カバン

イメージ
スウェーデンから日本に帰る時に持ってきたカバン。あづけ荷物はなく、手荷物だけ。スウェーデンブランドの狐のやつです(名前未だに覚えられない)。下着3着、パジャマ1着、服とズボン1着。ちょっと少なかったかな。

日本で買ったもの

イメージ
ユニクロで超極暖のタイツ買いました。マジで日本にいればこんなの必要ないのに。1500×4=六千円だよ。経費で落とせないもんかね。ってか北国ブランドのH&Mって何してんだよ。あったかい服作れや。

2018年の目標:自分のために芸術を始める

ここでいう芸術というのは、アウトプットとほぼ同じ。つまり、本を読むとか動画を見るとかではなく、何か作品を作る。その点ではこのブログもそうなんだけど、これはもう習慣化してるので目標に入れない。 芸術というのは作っている時にも癒しになる。人に見せなくても自分が良ければそれで良い。

ゲームの世界

渋谷に行けばたくさんの人がスクランブル交差点を歩いている。家の近くを歩けば小学生が縄跳びをしたり、ボールで遊んだりしている。おそらくスウェーデンに帰れば白人の人が電車の中で携帯で話したりしてるんだろう。なんかゲームの世界みたいだ。ある村に行けば、ほぼ定位置に人がいて、話しかけると同じ話をする。 俯瞰してみれば、世の中はずっと同じに見えるけど、一人一人徐々に変化していき、それぞれ悩みを持ってるんだろう。僕も大勢の一人として、徐々に変化していき、悩んでいる。でも他の人にはそれがわからない。僕だって他人の悩みなんかわからない。

期待したけど結局口座にカネなんか入ってないんだよ

奨学金返済地獄の中に入っている。僕は高校から大学院博士課程まで奨学金を借りてるので、とんでもない額を返済しないといけない。よく言われてることだけど、三万使うことなんて簡単だけど、三万返すって大変だよね。 僕は一応細々と日本でも副業みたいなことをやっていて、大学生のアルバイト程度には稼いでいる。その収入がそのまま奨学金の返済になるんだけど、日本の口座に入ってそのまま出て行くので残高がいくらかわかってなかった。日本に帰ってる今、残高を確認すると綺麗になくなってる。こういう時って「やべー、稼ぎすぎて金余ってんじゃん。」とは絶対ならないよね。いい方向には絶対に行かないな。 大学生まで親の金でぬくぬくと育ってきた野郎達が羨ましいな。 ただ、こうやって妬むのは良くないな。僕だって故郷の国が崩壊してる難民とかと比べればかなり恵まれてる方だし。不幸にならないためには他人と比べないことだ。比較しなければ決して不幸にはならない。ただし幸せになることはできる、、、はず!

日本はずっと晴れ

イメージ
まぁ日本と言っても僕がいるところの範囲だけどさ。 それにしても毎日晴れ。冬って晴れてると寒くても乗り切れるよね。その一方寒くて暗くて天気が悪いスウェーデンって存在価値あんのか。 と言っても、もうすぐスウェーデンに帰らないといけない。昨日ユニクロで暖かい服3万円分も買ってしまった。もちろんサンタさんにもらったものではなく、自分で買ったものですよ。日本にいれば必要ない服、余計な出費だよ。経費で落とせないものかね。

人生のクリエイターになる

いつもならひっそりとしてるのだけど、今年の年末はなるべく積極的に友人に会っていこうとしている。昨日は二人の友人と会った。 その二人は対照的で、一人は仕事がうまくいっていて、今度東海エリア全般を任されるようだ。もう一人はあまり仕事が面白くないらしく、ちょこちょこ他の会社に履歴書を送っているらしい。 二人とも、元々の夢とは違う分野であることは共通だけど、士気に違いがあるのは、仕事の「やりがい」があるのかどうかだと思った。ほとんどの人は、理想の会社には入れず、最初は妥協する。初期には必ず転職するとか言っているが、そのうち何も言わなくなる。それってなんでだろうと考えると、別に理想の仕事でなくてもやりがいがあれば仕事は楽しくなるのだ。 やりがいとは、例えば目に見えてお金が稼げるとか、あるいは上司や同僚に褒めてもらえるとかいうことだ。その点、僕のような研究者は、お金は使うが決して稼げず、誰にも褒められることがないので全くやりがいがない。 しかし、やっぱり「やりがい」のある仕事よりも「やりたい」仕事をすべきだとまだ思っている。たとえやりがいがなくても純粋に自分がやりたいことをすべきなのだ。 人生とは、神から与えられたものではなく、作っていくものだ。人生をゲームに例えると、僕らはゲームのプレイヤーではなく、ゲームのクリエイターになるべきだ。プレイヤーの場合、死んだらそれで終わりだがクリエイターなら死んだ時に作品が完成となる。僕らが死んでも人類はしばらく存続するのだから、人類のために作品を残して行こう。

メリークリスマス

イメージ
12月24日。大したことはしてないけど、とりあえずコンビニでケーキは買った。日本のケーキは小さくて、食べやすい。 なんか、昔に比べクリスマスって下火になったな。高校ぐらいまでは「恋人と過ごさなきゃ」感満載だったけど、今は誰もそんなこと言わなくなったし。ただ俺が青春を過ぎただけなのか?

2018年の目標:料理

イメージ
目標なんか定めても、正月三が日を過ぎれば忘れてしまうのだけど、それでも何もしないよりはいいと思って来年やりたいことを書いていこう。 まず一つ目は料理。今は日本にいて、いかに日本が美食、飽食の国なのかがわかる。北欧はあまり料理に重きを置いてない文化、というか不味い料理を一生懸命開発してるんじゃないかと思うほど不味いものばかりあるので、いろいろやられる。しかも外食は高いし、一人で気軽に入れるところも少ないし。 ただ、自分で料理をすれば美味しいものは作れる。写真は家で出てきた鯖だけど、この鯖はノルウェー産らしい。それならスウェーデンでも手に入るはず。味噌も豆腐も買えるので、このレベルであればスウェーデンでも作れるはず。 料理は、趣味としては最高だと思う。技術が高まれば健康にもいいし、他人を幸せにもできる。コレクションみたいにひたすらものが増えることもないし、食べる量は決まってるので無駄遣いも少ない。 長年貧乏一人暮らしをやってるのに、いまだに対した料理ができない僕は美馬まで何をしていたのか疑問なんだけど、とりあえずこれからは週に一回はちゃんと名前の付いた料理を作ろう。そして、作った料理のレシピを保存しておこう。

バンドマンの友達と会う

日本に帰ってきて、二人目の友人に会った。彼はバンドをしていて、僕のカテゴリー的には「自分のやりたいことをやる派」である。数年ぶりに会い、バンド以外の仕事は何をしているのかと聞いたら、携帯の修理をしているらしい。そういえば以前もそれを聞いた。つまり彼は、少なくとも数年間は同じ仕事をしているのである。 彼も僕も人生の方向性は同じで、安定を求めるのではなく、自分のやりたいことをやる派。話は合うが、正直僕は今回、価値観が合わない人と話がしたかったので、その点では彼は違ったかもしれない。彼自体に会えたことは嬉しかったのだけど。 ちなみに彼は、もともと国家一種に受かり、霞が関で働くエリートだったらしい。でも、毎日楽しいことがないためにやめてしまったそうだ。僕も二回も定職を投げてるからその気持ちはよくわかる。安定すると、まるで死ぬのを待っているだけに思えてくる。 ただ、それは僕の価値観であり、そっちが正しいとは全く思わない。むしろ異なる価値観の人と接することで、自分自身の価値観が揺らぐか、強固なものになるかを試してみたいのである。

若い時の気持ちを持ち続ける。

日本についた直後、東京駅で大学時代の友人と会い、昼食をとった。 Facebookの友人を削除するのが趣味の僕だけど、今回はなるべくたくさんの人に声をかけようと思った。というのも、今後僕はどう生きるべきかを自分で考えていて、他の人はどう考えてるんだろうかというのを聞いてみたかったからである。 その友人と会うのはおそらく7年ぶりだがあまり変わってない様子。定職につき、結婚し、子供がいるという典型的な優等生路線。だが、話を聞くに今の仕事はそれほど満足はしておらず、他のことをしたいらしい。今のところは大学で学んだことが全くいかせてないとか。 僕と彼は大学時代の友人なので、当然僕は同じ大学に行ってた。農学部だったけど、僕は博士課程で路線を変更し、博士号も理学で取った。今も実質的には大学で働いているようなものなので、彼よりも大学の頃の気持ちは忘れてないと思っていたが、僕が大学生のころの気持ちとはだいぶ変わってしまった。彼はまだ大学の時に思っていた気持ちというのを持ってるんだなぁと感心した。 気持ちというのは別に変わってもいいんだけど、「自分で世界を変える」というような若いころの気持ちは持ち続けたいな。あまりまとまりのない話になってしまった。

日本は最高だった

イメージ
日本に一年三ヶ月ぶりに帰ってきた。月並みだけど日本はいいところだわ。僕は以前にも海外に長期滞在したことがあったけど、その時帰国したのは自分の意思ではなかったので全くよく思わなかった。今回はとても華やかに見える。 まず、対応がきめ細かい。今回の飛行機はフィンエアーで、ストックホルム→ヘルシンキ→東京という経路。ヘルシンキからは、共同運行便でJALが主体だった。ストックホルムからヘルシンキは、出発が遅れた上、飛行機乗ったあとも1時間ぐらい動かなかった。その間アナウンスは一切なく、時折しびれを切らした客が立ち上がり、CAに文句を言っていた。。 日本行きの飛行機は、搭乗の際に、すれ違った係りの人が「お気をつけて行ってらっしゃいませ。」と言っていた。大きな飛行機だが搭乗はものすごくスムーズで、搭乗後も「間も無く扉が閉まります。」など、逐一報告してくれる。着陸する際にも、「お体を崩されませんよう、お気をつけください。」とか、「滑走路を変更したため、到着が5分遅れたことをお詫び申し上げます。」とかアナウンスが入った。5分なんて誤差範囲でしょう。 成田空港から電車で東京に行く際も、駅員に「あと、もうしばらく電車は来ないですがどうしますか。」と言われた。駅員的には客なんかさっさと通して寒いホームで待たせといたほうが仕事的には楽だろうけど、快い対応。 あと、当たり前だけど食べ物が美味しい。セブンイレブンの商品全部うまそう。スウェーデンにもセブンイレブンあるけど、やっぱ違うよねー。1店舗でいいから日本のものを輸入していただけないかな。そこでは結局何も買わなかったけど、東京駅でレストラン街に行くとすべてうまそうな食事ばかり。僕は基本的に魚じゃなくて肉を選ぶんだけど、その時はサバの塩焼きを頼んだ。こんなシンプルでうまいもの当たり前のように出してくるところすごいわ。しかも安い。 最後に天気。スウェーデンも日本も冬なんだけど、日本は圧倒的に明るい。スウェーデンの夏じゃないかと思うくらい。なんか、スウェーデンの天気があまりに残念に思えてきた。 海外から帰ってくると「日本サイコー」派と「日本サイテー」派に分かれるけど僕は前者だった。でも、まだ日本に帰ってはいけない気がする。日本人なんだから1番暮らしやすいのは日本に決まってるけど、もうちょっといろんな文化に触れてみたいし、

安物買いの銭失い

イメージ
クリスマス休暇で二週間ほど日本に帰ることにした。やっすい航空券を買ったせいで合計33時間もかかってしまう。 アーランダ空港に到着する際、明らかに体調が悪くなっていた。しばらく空港のベンチで横になっていたのだが、搭乗時には体調の悪さマックス。飛行機に入り、とにかく静かにしてようと席で目をつぶっていた。搭乗はとっくに過ぎているのに、なかなか飛行機が動かない。結局1時間ほど、飛行機内で無駄に待機することになった。ヘルシンキには夜12時に着いた。そこから次の日の夕方5時まで待たないといけないのだが、今の体調では待てる気がしない。しょうがなく、エアポートホテルで一泊することにした。140ユーロ。そもそも140ユーロぐらい出せばもうちょっといい乗り継ぎの飛行機を取れたのに、結局お金も時間もかかる選択をしてしまった。 ホテルのチェックアウトはお昼の12時だということで、それまで服も着替えずに寝た。お昼になり、空港に入ると、美味しそうな匂いがした。そこは日本料理屋で、寿司やラーメンを出しているところだった。あと12時間ぐらいで日本に着くのに、わざわざフェイクの日本料理を食べることもないだろうと思うが、僕の価値観は最近変わってきたのである。その店に入り、味噌ラーメンを注文した。14ユーロ。 味噌ラーメンは見た目は美味しそうだったが、全く味がしなかった。これは単に僕が風邪をひいて味がわからなくなっているからかもしれないが、とにかく全く味がないのである。塩味のお湯の中に小麦粉を伸ばしたものが入っているだけのように思え、結局残してしまった。なかなか、僕の選択はうまくいかない。

仕事納め

イメージ
12月18日から1月1日まで休むことにした。なので、12月16日で仕事は終了。 これまで全く結果が出なくて、最終日の16日は最後の実験。午後六時、結局結果はでなかった。なんか、今年は全く意味のない年だったようなきがする。 最終日の夜は職場の近くの寿司屋で1人で寿司を食べた。日本に帰るのに寿司を食べるなんて、少し前の僕だったら絶対なかったけど、なんか価値観変わってきたな〜。

ストックホルム市庁舎でクリスマスブッフェ(ユル・ボード)

イメージ
うちの職場の部門で、クリスマスブッフェを食べに行った。行った場所はストックホルム市庁舎にあるレストラン。もともとは違うところだったらしいんだけど、そこにいった人が、今までで最悪だったと言ってたので、急遽ストックホルム市庁舎になった。 僕はこういう職場で食事をするというのが大嫌い。と言うのは単純に僕がシャイで酒も飲めないからなんだけど、うちの職場はこういうランチ会はお金がかからないのでうれしい。スウェーデンって職場の飲み会とかは、自分ではお金は払わないのだろうか。職場によって違うのかな。 市庁舎ってはじめて入ったけど、かなり雰囲気がいい。あと真っ昼間なのに暗い・・・ お菓子で作った市庁舎

100分で名著 『パスカル パンセ』

最近この番組にはまってる。今回はパスカルのパンセ。 ”人間は考える葦である”でおなじみのパンセ。パンセは、一つの話ではなく、メモ集みたいなものらしい。その中から抜粋して紹介。なお、僕の主観も入ってるかもしれないです。 ・人間は生まれつき、あらゆる職業に向いている。忙しくしていれば、いつかはその仕事がなじんでくる。 ・幸福を求めて動いたところで、その目標を達成するころには幸福は別のところに逃げている。アキレスと亀のようなもの。 →上と含めて。ラッセル幸福論では、自分が心からやりたいことをやれと言っていたのに対し、パスカルは結局どれも一緒だよと言っているように聞こえる。 ・自己愛(もしくは自己嫌悪)が諸悪の根源。自己愛が生まれるのは他者がいるからである。他者がいることが行動のすべての原理 →ラッセル幸福論、三木清の人生論ノートも同じことを言っていたのだが、この二つは「だから他者を除いて自分がやりたいことをやれ」っていう論調だったような気がする。でも、パンセは行動がすべての原理と言っていて、諸悪でありながら肯定感がある。 ・人間は死に向かっているが、死を直視しないよう、仕事や趣味という壁を作って生活している。 ・デカルトとパスカルの違い。デカルトは世界には必ず因果関係があり、明確なゴールもある。パスカルは一貫性などなく、ゴールもない。

100分de名著 『三木清 人生論ノート』

『ラッセル 幸福論』に続き、100分de名著シリーズ。今回は日本人の著者。幸福論にかなり似ているところがある。 以下自分なりにこの本をまとめてみた。ただし、自分なりの解釈も入っている可能性もある。 自分が幸福であることは重要である。なぜなら、自分が幸福でなければ他人に優しくすることができないから。 幸福=成功ではない。何かを成し遂げると幸福になるのではなく、自分の力で今すぐにでも幸福になることはできる。 自分を苦しめるもの(不幸の原因)は他人の目を気にして、自分を大きく見せること(虚栄)である。その点で、偽善者は不幸である。なぜなら偽善者は他人を常に意識し、他人の求めている役割だけを演じているからである。他人の評価ではなく、自分の評価で自分を作り上げるべきである。それは虚栄ではなく向上心と言える。向上心から、現実を変えることができる。 世界が広大すぎて、生きていくことに絶望するような徒労感がある。例えば、自分が何をしても世間には何の影響も与えるから意味がない、どうせ死ぬのだから生きて何をしても無駄だ、など。しかし、自分は存在しているという事実からは逃れられない。だからその虚無から、自分自身で生きていく意味を作っていかないといけない。 孤独であることを恐れてはいけない。例えば、世間とは異なる意見を持っていて、それを発表すると非難されると思っても、発表する勇気を持たなければならない。何も発せずに黙っていることも自分自身に責任とて跳ね返ってくる。 生きていることは不安定なことである。不安定だからこそ、希望が生まれる。なぜならもし一切が保証されていたら希望すらなくなる。

[IS]オーロラを見に行く4:レイキャビクで各自観光

イメージ
(前回までの旅は ウェブサイト にまとめてあります。) ゴールデンサークルからレイキャビクに戻ってきたのは午後三時。ここから友人は買い物したいということで別行動になった。レイキャビク自体は余り興味がないが、アイスランドに今後来る可能性は低いのでとりあえず廻ってみた。 まずは、「世界一うまいホッドドック」として有名な小さなお店。確かに列ができていていた。おそらくアイスランドで列ができている唯一の場所だろう。 辛口評価で言うと、味は普通。わざわざホッドドックを食べるためにアイスランドまで飛んでくる必要はないが、物価が超高いアイスランドの中で、このホッドドックは数百円で食べられるので、是非試して見るとよい。ちなみに深夜までやってる。儲かってるだろうな〜。 アイスランドに来て、ついに晴れた。晴れの北欧は本当にきれい。オーロラの可能性も広がる。 首相官邸。さすがスモールカントリー。  教会。  道端のアート。 鳥たち。 次は、ついにオーロラ登場!!

「北」って言う字、よく見てみて

イメージ
今年の漢字は「北」だそうだ。なんか、流行語大賞と同様にどんどん下火になっていっているようなきがする。なんで敵国の北朝鮮の文字をあげるんだよ。 まぁそれはともかく、「北」って言う字、違和感なく見てるけどちょっとおかしくないですか? よく見てください。 北 ちなみに坊さんが書いたのはコレ 3画目がつながってるのは無視するとして、坊さんが書いたのは二画目が突き出てないのに対し、パソコンで表示すると二画目が突き出てるんです。 僕は以前、中国語を習っていた時、中国人が二画目が突き出てる「北」の字を書いてました。あれ、おかしいなと思い、電子辞書で調べるとやっぱり二画目が突き出てる。30年以上生きてきて、レベル1の漢字である北の字をずっと間違って覚えていたのかと、そのときは落ち込みましたが、手書きのときは二画目が突き出てない方が正しいようです。突き出てるのは、明朝体のデザインの関係らしい。よく見てみると他の漢字も若干変な時あるしね。比とか。 僕が習っていた中国語の先生は二画目が突き出てたけど、中国人はああやって書くのかな。パソコンが主流になったときには、もしかしたらパソコンの字体に近づいていくかもしれないけど、中国語の先生は僕より年上だったしなぁ。 ちなみに、での濁点も本来は右上に無くてはならないのに、パソコン字体だと下にあります。これは、高校の時に先生に注意され、減点されたことがあるのでよく覚えています。

職人ではなくアーティストになる

職人とアーティストの違い。職人は、明確な顧客がいて作品を作る。アーティストは自分の心の中の思っていることを作品にして、そこに顧客がつくかどうかは重要でない。ぼくはやっぱり職人よりもアーティストになりたいな。だから僕は医師やイラストレーターのような職業には全く興味がわかないんだろうな。

LINEグループで「赤ちゃんかわいい」とか言うクソ女子

日本に一時帰国します。 今回は、積極的に人に会っていこうと、あるLINEグループに投稿しました。 「12月23日、お暇な人一緒にご飯食べに行きましょう。」 一週間前に投稿し、全員(20人)既読なのですが、一切連絡ありません。 その前には、グループ内の女子が「◯◯ちゃんの赤ちゃんに会いに行ったよ。とっても癒やされた。」と、その可愛くもない赤ちゃんと一緒に写ってる自撮りと一緒に投稿してきました。その投稿に対し、赤ちゃんと同じくらい可愛くない女子陣が「あぁ、可愛すぎる(はーと)」とか全く意味のない投稿ばかりしていたのに。 僕の投稿のときは全く無音ですよ。「会いたいんだけど、その日行けないんだぁ。」とか社交辞令ぐらい言えや。 もうこれでわかりましたよ。このグループの全員とは関わることはもうないなと。思いっきり暴言吐いてグループ抜けてやるよ。

やりたいこととやりがいは違う

数少ない友人と話していた。その友人は、今の仕事にやりがいはあるけどやりたいことではないと言っていた。 僕はやりたいこととやりがいのちがいがよくわからなかったけど、その友人の定義いわく、やりたいことは自分の中から出てくるもので、やりがいは他人から与えられるものであるらしい。 僕は研究者になりたくて、結果的に研究者になっているのだからやりたいことをやっている方だと思う。しかし、満足を得られないのは、「やりがい」がないからかもしれない。僕の今の仕事は完全な1人屋台制で、他の人とほとんど関わらない。同僚がいなくても全く困らないと同時に、僕がいなくなったとしても誰も困らない。 パン屋の店員や医師であれば、客からお礼を言われることもあるし、他の社員から「お前がいないとダメだ」と言われることもある。それがやりがいとなって、続けられる。しかし、僕は誰からも褒められないし、誰からも僕がやっている重要性を理解していない。そう思うと、この世界に僕は必要ないのではないかと思ってしまう。 ただ、だからといってやりがいのある仕事をやろうとは僕は思わない。ただただやりたいことをやるべきだと思っている。他人から理解されないことをやっていたとしても、その孤独に耐え抜く力が必要なのだ。

道を変えてもよい

スキルの掛け算という話を聞いた。 人は大体1万時間費やせば、100人に一人レベルのプロになれるらしい。つまり一日6時間費やせば5年で達成する。 だけど、100人に1人レベルだとまだまだ少し探せばいるぐらいの存在。オリンピック選手のような超プロになるには100万人に一人レベルである必要があるらしい。 単純に言えば、一日6時間を15年費やせばそのレベルになるのかもしれないが、そのほかにも、まったく異なることをするという手もある。 例えば絵を描くということを5年続ければ100人に1人のプロになれる。そのほかにプログラミングを5年やればその道でも100人に一人のプロになれる。その二つをかければ1万人に一人のプロになれる。もう一つ技をかければ、100万人に一人のプロになれる。 結局、どれでも「時間をかけろ」ってことなんだけど、この話を聞いて、「自分が進む道を変えても全く問題ない。」と思って、少し気持ちが軽くなった。

ノーベル賞レクチャー(生理学または医学賞)

イメージ
今週はノーベル賞ウィーク。日本ではほとんど盛り上がってないかもしれないけど、本場スウェーデンでは多分盛り上がってるはず。 2017年の12月7日には、ノーベル生理・医学賞のレクチャーがあった。行く気はなかったんだけど、そもそもレクチャーは僕がいる職場で行われるので、せっかくの機会だし行くことにした。 入場は無料で、先着順。開演は午後一時なんだけど、 席がなくなり次第終了なので、10時半から並ぶことに。雨で辛い。 なんとか入れ、午後1時に開始。別に写真を撮るなとは言われなかったのでちょこちょこ撮ってみた。 今年の生理・医学賞の受賞者はアメリカ人3人。なんか、1人かなりラフな格好で写真写ってるけど。ちなみにこの人は今日のレクチャーでもスーツに野球帽かぶってた。 公演中。公演はたぶんオンラインで見れるはず。 ちなみに今回の受賞者は「概日リズム」を分子レベルで解明した功績。概日リズムというのは簡単に言うと、体が24時間を覚えているということ。例えば海外旅行すると、数日間は時差ぼけする。それは体が時間を覚えているということだけど、なぜそれが起こるのかを解明したらしい。「概日」というのは、だいたい24時間という意味で、ちょっとずれがあるらしい。  受賞者がレクチャーする際には、スウェーデンの民族衣装を来た人がエスコートする。 ワトソンの本で読んだんだけど、朝にもこの人達がベッドの横で囁いて起こしてくれるとかなんとか(くっそウル覚えなのであまり信じないで。) ちなみにレクチャーは、3人行われ、終了は3時半。もう外は真っ暗。昼飯を食ってないので腹減ったよ。去年も参加した人はこういうことを知っていて、リンゴとかもってきてた。 帰り。案内してくれる人は民族衣装を着ていたので写真撮らせてもらった。こちらは男性。日本で言うと着物的なかんじかな。 こちらは女性。なんか、写真撮らせてっていえなかった・・・ 上の女性が配っていたのはノーベルメダルチョコです。これはノーベル博物館でも買えますよ。

スウェーデン版NHK的ごたごた

NHKの受信契約の義務規定による判決が昨日出たらしいけど、それに似た出来事がスウェーデンに住んでいる僕に起きた。 昨日の夜、突然僕の部屋のチャイムが鳴った。チャイムが鳴ることなど一年に一回しかないので、慌てて扉を開けると、そこには禿げた小さいおじさんが立っていた。そのおじさんは、スウェーデンの公共放送 Radiotjanst の人だった。いわゆるスウェーデン版NHKである。 そのおじさんはIDを見せ、「あなたの家はインターネットを契約しているのか。」と聞いてきた。僕は素直にしていると答えると、「そのモデムに、テレビのケーブルを刺すところがあるはず。そのモデムを持っている人は、テレビを持っていなくても受信料を払わないといけない。」と突然言ってきて、契約書を差し出してきた。 その箇所に僕がサインをしなければいけない箇所がある。しかし、突然来られて契約書にサインなんてできない。「とりあえず大家さんに連絡するからちょっと待ってくれ」というと、そのおじさんは「あなたは法律を破ってるんだ」と強気の姿勢を見せてきた。 しかし、僕は一年スウェーデンに住んでいるけど、一回も受信料を払えと言われたこともないし、基本的には家賃に光熱費もインターネット代もすべて含まれている。しかも、僕のアパートは入り口がロックされていて、普通の人は入れない。どうも怪しいと思い、サインしないでいると、おじさんは「サインしなくてもいいよ。どうせ払わないといけないから。」と言って、去ってしまった。 ちなみに契約料は月2000円程度。おじさんは「That is not end of the world」とか言ってたけど、完全に無駄なものにお金を払うのは嫌だ。僕はテレビも持ってないしスウェ語もわからないので、公共放送のお世話になるのはほぼない。それだったらNHKに払うよ。 どうも納得いかないので、すぐに大家にメールすると、すでに何人かが連絡しているらしく、「払う必要はない」というメールが来た。よかったよかった。 しかし、日本でもNHKの受信料請求は、世の中の闇的なものがあるけど、スウェーデンでも全くおんなじことが起こってるんだな。NHKの受信料の時もそうだったけど、おそらく請求しに来る人は下請けの人で、あまり高給取りという雰囲気はなかった。一つずつ家を訪問していって、いきなり「義務があるので金払え」と言う仕事ってつ

このブログを公開する意味はあるのか

2017年ほぼ唯一続けられたのがこのブログ。ただ、ブログ自体は2011年から書いてるのであまり特質したことではない。つまり、2017年ほぼ進歩していない。情けないな〜。 それはともかく、ブログが続けられたのは、自分のために書いているから。最近何回も出ている「ラッセル幸福論」には、「賞賛を目的とせず、ただただ自分がやりたいと思う行動をせよ。」と書かれてある。自分の生活を豊かにするために書いているから、どんな内容でもいいし、まとまっていなくてもいい。 ただ、そう考えるとこのブログを公開している意味ってなんなんだろう。どうせ無名な一個人のつぶやきなんか、誰も見たいと思わないし、公開することで書きたいことも書けなくなることもあるし。 「ラッセル幸福論」のもう1つの行動原理は「社会を幸福にする行動」なんだけど、このブログは全く社会を幸福にしてないし、自分の殻に閉じこもっている気がする。 ということで、このブログはもしかしたら閉鎖して、新たにみんなに読んでもらえるようなブログを書くかも。でも続かないだろうな〜。

この季節の唯一の楽しみは出勤時の朝焼け

イメージ

このブログの記事数

まだ11月だけど、11月までのこのブログの記事の数を調べてみた。 11月までの365−31=334日のうち、記事は308。 0.92/日とほぼ毎日書いてる。2017年に続けられたものってブログぐらいじゃないだろうか。自分が情けない。 月別のブログ記事は以下の通り。 こうやって見ると、バカンスをとった8月は極端に少ない。あと10月11月どうした? もしかしてブログの記事数と自分の気持の落ち込みって比例するのかな?となると12月はどうなるんだろうか。

今日買ったもの(ケーキ)

イメージ
もうタイトルでネタバレだけど、ケーキ買った。スウェーデンなのにブダペストケーキ この赤いビラビラが、ウミウシの卵にしか見えない。

ストックホルム現代美術館でお菓子の家コンテスト

イメージ
二週間ぶりにストックホルム現代美術館に行ってきた。なぜ二週間とわかったのかというと、Google mapで行き方を調べた時に、履歴で「ここは2週間前に訪れた場所です」と表示されたからである。余計なことを言うんじゃねえよGoogle。どうせ金も知り合いも趣味もない寂しいやつと記録してるんだろ。勝手に分析しとけ。 いつか、今までの履歴や買い物の傾向とかから「あなたは週末ココに行きなさい。そうすれば行かないときよりも27%幸福になれるでしょう。」とか提案してくるんだろうな。そうなったらもう全部投げ捨てて山に引きこもるしか無いな。 そんなことはともかく、ストックホルム現代美術館に行ってきたのである。この建物に併設されているArkDesというところで、11月の終わりから「お菓子の家」コンテストをやっている。 実は去年もこのお菓子の家をみて、結構感動したので、今回は早めに行ってみた。というのも、このお菓子の家はたまに崩れたりするので、なるべく早くに行ったほうが完璧な形のものを見れるのである。 僕が撮った写真をバーっと載せます。お時間がある方は是非伺ってみては。無料ですよ。