理想と現実を行き来する

トランプが時期大統領に受かったのは、政府の綺麗事に国民が辟易した結果だとみんな言っています。

しかし、8年前は空前のオバマブームでした。パチンコ屋ですら、オバマの写真を使って「Yes we can!」とか広告を作ってたぐらいですから。実際にあの時はすごかった。僕は高校まで、アメリカの大統領はWASPしかなれないと教わったため、初めての非白人が大統領になったときはベルリンの壁崩壊レベルのことだと思いました。挙句にスマートな体で迫力のある演説をし、核廃絶を訴えノーベル平和賞をもらうなんてまさに映画のような出来事でした。

でもあの時理想を求めていたアメリカは、8年後にはあっけなく「綺麗事では飯は食えない!」みたいなことをいい出した。オバマもアメリカっぽいし、トランプもアメリカっぽいけど、これはよく考えると人類はすべてそういうもんなんでしょう。

そもそも、理想と現実っていうのはお互いに正しいのだけどそれが故に、相容れないものなのかもしれない。

世界の宗教は大きく一神教と多神教に分かれるけど、一神教は理想的、多神教は現実的な考え、といえます。

例えば、ブッダの毒矢の例えにこういうのがあります。

例えば、ある人が毒矢に射られたとしよう。その人の友人や家族は医者に見せて早く矢を抜き取ろうとする。しかしその本人が『矢を射た人はどんな身分か、何という名前か、どういう苗字か、背が高いか低いか中くらいか、肌は何色か、どこに住んでいるのか、それが分からないうちは矢を抜くな』と言ったらどうなるか。その人はそれを知らないうちに死んでしまうだろう。君が言っているのもそれと同じことだ。その答えを知る前に人は死んでしまう。
コレを見ても分かるように、仏教は非常に現実的です。「右の頬をぶたれたら左の頬を出しなさい」なんて言ってるキリスト教徒は違います。

宗教だけでなく、仕事でも「理想より」と「現実より」な仕事があります。
例えば、僕が今就いている研究の仕事はかなり理想よりです。宇宙からの電磁波を数億円かけて測ったところで、人間を助けられるわけではありません。僕もしょっちゅう仕事のことを友人に話す度に「それなんの役に立つの?」って言われます。実際僕も、「こんなことせずに、カフェでコーヒーだしてお金もらうほうがよっぽど世間のためだ!」と思います。

しかし、理想を求めなければ、人間は前には進めません。そう自分に言い聞かせてなんとか研究職に就いています。

国でも人の人生でも同じ、理想だけでは暮らしていけないし、現実だけでは前に進めない。互いに同時には存在しないけど、理想と現実を行き来することが大切なんだなぁと最近思いました。