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9月, 2016の投稿を表示しています

僕も他人の苦労はわからないのだから、僕の苦労も他人はわからないのだ

今回、ストックホルムに住むことになり、色々大変なことがあった。 その一つは引っ越し。僕は独身でかつ家族がいないので荷物を置いておくところがない。だから、使えるものも何もかも、スーツケースに積めるもの以外は捨てるほかなかった。捨てるのにもたくさんのお金がかかった。 市役所とか銀行とかNHKとか、外国に住むことになる際は国内の連絡先を聞かれる。僕はそれを聞かれるのがとても嫌だ。国内の連絡先などないのである。一応親戚の連絡先を書いたが、それは家族ではない。気安く頼むことができない。 ストックホルムに行く飛行機は自腹、アパートも、もちろん自腹。半年間株式会社ブラックで働いた貯金がほぼなくなる。 ストックホルムで働くことになるまでの経緯もとても大変だった。それは研究職で働く人にとって参考になると思うので、改めて書こうと思う。 僕の大変さとは裏腹に、友人たちは呑気なものである。僕が何回もストックホルムに行くと言っても、「どこに行くんだっけ?」とどうでもいいような対応をする。僕の大変さをわかってほしい。 しかし、よく考えれば、その友人だって僕が知らない人生の修羅場をたくさん経験しているのかもしれない。精神的に参ってしまい仕事に行けなくなったとか、離婚したとか。もし、友人がその大変なエピソードを語っとしても僕は「ふーん」と言って話を終えるだろう。 人々は皆、修羅場を迎える。しかしそれは他人には決してわからない。いくら家族が、末期癌になっても、その人の気持ちをわかってあげることは決してできない。むしろ、たくさんの人の苦しみを感じることができるのであれば、とても生きてはいけないだろう。 他人は僕に、苦しみを押し付けたりしない。だから、僕も自分の大変さや「私、かわいそうな子羊なの」感をわかってもらおうと思うのはやめよう。僕が味わう苦しみは、神様が僕に消化するように分配してくれたものなのだ。

出国時のあれこれ

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30日に僕は日本を出国した。その二日前、28日には家を引き払い、それからは静岡県三島市の友人の家に泊まっていた。 フライトは30日の12時。いつもは問答無用で鈍行しか使わないが、今回ばかりは新幹線と成田エクスプレスと、豪華に交通費を使った。 成田に着き、宅急便で送っていたスーツケースを取る。東京から成田空港までわずか1300円。安い。僕のスーツケースは一番大きいサイズで、明らかに重量オーバーだと思ったが、家に体重計がないので確認ができず、結局そのまま送った。 成田空港には重量計が置いてあり、そこで測ると26キロだった。制限は23キロだが、3キロぐらいは見逃してくれるだろうと安心し、チェックインへ。 Eカウンターと聞かれ、大勢が並んでいたのでそこで並んだ。僕が乗る飛行機は、アエロフロート、モスクワ経由パリ行き。モスクワに行く人は少ないと思ったが、パリに行く人が大勢いるのだろう。よく見るとみんな浮かれているような気がする。 しかし、列に並んでいるとどうもいろんな文字が韓国語で書かれてある。客もスタッフも韓国語をしゃべっているのが多い。ロシア語は全く見ないが、「これが共同運行便だ」と思い、列に並んでいた。僕の番になり、パスポートを見せると、怪訝な表情をされ、ここではないと言われた。Eカウンターと言っても裏側だったのだ。これで15分は損をした。 幸いにもアエロフロートには人が少なくすぐにチェックインができた。しかし、またここで問題。預け荷物の26キロというのが見事に引っかかったのである。しかも、追加料金は12000円。HPにはモスクワー東京間は手荷物が二個までOKと書かれてあるのに、結局は一個しかダメらしい。料金も払えず、手荷物を増やすこともできないので、手荷物のリュックと荷物を交換することになった。 僕が持っている荷物の中で重いものは、フライパン、皿、ハードディスク、本、パソコンである。僕のリュックには下着類が入っていたからそれと交換。さらに中に入っていたジャンバーは着ることにした。一気に手荷物が重くなった。その後測ったら23.1キロ。ギリギリOK。よかったー。手荷物も一応10キロという制限があるらしいが、手荷物は重さは測られなかった。 予定より30分ぐらい遅れたが、無事荷物は預けることができた。朝から何も食べてないので食堂

出国します!

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大反響があった(大嘘)昨日のブログの通り、僕は今日からストックホルムに行きます。 大変なことがたくさんあったけど、それは機内で書くとしてひとまず出国します。 まずはモスクワへ。

引っ越し

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このブログのタイトルにある「四畳半」の部屋を、今日引き払いました。 東京で、しかも中央線の駅から徒歩5分ぐらいの好立地でありながら、家賃は四万円以下でした。ただ、値段相応といった感じで、四畳半の中にキッチン、トイレ、風呂が全部入っている独房のような部屋でした。 風呂はユニットバスで、トイレとの距離がわずか1cm。しかもカーテンが付いておらず、100均で自作したものの、しょっちゅうカーテンが落ちてきました。シャワーを浴びるときも、狭くて常にカーテンが体にくっついている状態で気持ち悪かったな。 ガスコンロのすぐ隣が机、そのとなりがベッドと、本当に生活空間が一つになった場所だった。いいと思えばいいし、悪いと思えば悪いところだったなぁ。でもあんなに壁が薄いのに、隣や上の生活音が全く聞こえなかったのが良かった。みんな、ありがとう(知らないけど)。 最後の立会の人はかなり愛想が悪かった。少しの汚れも見逃さず、どんどん付箋を貼っていく。半年しか住んでないし、かなりきれいに使っていたつもりだけど、それでも壁に小さな傷とかがつく。あんな柔らかい壁紙を貼って、傷をつけやすくしているようにしか思えないんだがなー。 ということで、今日からもう「四畳半」には住まないことになります。みなさま、この砂浜の一粒の砂レベルの存在感のブログを読んでいただき、本当にありがとうございます。 そして明日、10月から僕はどこで何をするのかを発表します!まだまだ続きますからね。乞うご期待。

親友との別れ

先日、中国の友人と会った。その人は、元々は僕の中国語の先生だが、よく一緒に遊んでおり、僕が中国語のレッスンをやめた後も、よく一緒に遊んでいた。 その人は、現在は中華街の近くの商社で働いているが、そこの会社がなくなるというので中国に帰ると言っていた。そう言っているうちに、僕のほうも東京から引っ越さないといけなくなり、結局は僕のほうが先に東京から離れることとなった。 とても仲のいい友人で、あちらは中国に帰るのでもう会えなくなると思い、引越し前に会ってきた。その友人は全く気取ることなく、例えば食事でもチェーン店のファミレスで一緒にご飯を食べるとか、小さな商店街で遊ぶとか、そういう素朴な感じがすきだった。 今回も、顔が犬になったりする自撮りアプリとかで遊んでいた。その友人と一緒にいると本当に楽しい。 夜になり、帰らなくてはならなくなった。その人はもう中国に行く。僕は東京を離れる。会える可能性は、どう考えても年に一回以下になる。もう合わない可能性のほうが遥かに高い。そう考えると悲しくなった。 でも、帰るときに「大丈夫。いつでも連絡できる。」とさり気なく言ってくれた。それで、いつものように軽い挨拶で帰った。別に悲観することはない。いつでも連絡できるし、いつでも会おうと思えば会える。悲しいと思うから悲しいのだ。 そう思うと寂しくない。一人でも、1人じゃないと思うだけで良いのだ。 このブログの ツイッター もフォローしてね。

図書館の本をなくしてしまった

図書館で本を借りて、その当日に本を入れていたカバンごと無くしてしまった。 本をなくしたこと自体もショックだがそれ以上に数時間前の記憶が全くないことの方がショックである。 図書館に行った後は、マクドナルドに行ってコーヒーを頼んでそこで読んでいた。だからその時には本は確実にある。そのあと、はなまるうどんでうどんを食べたことは覚えているが、その時にカバンを持っていたのかどうかが全く思い出せない。そして、マクドナルドからはなまるうどんに行く間、どのルートを通ったのかも思い出せないのである。何を食べようか迷っていたから、直行はしなかったはず。となれば途中に立ち寄ったところでおき忘れた可能性が高いが全く思い出せない。 本がなくなったのを知ったのは家に帰ったあと。風呂に入る時に、本を持って行こうとしたらないのである。服を脱いでいたがもう一度着てマクドナルドとはなまるうどんに行ったが忘れ物はなし。警察にも届けられていない。 不幸中の幸いは、財布も携帯もなくなっていないこと。ポケットに物が入っているのが嫌いで、よく財布も携帯もカバンに入れる習慣があったから本当によかった。 翌日、図書館に電話したが、やっぱり届けられていない。もう弁償になると覚悟して、借りた本のタイトルを教えてもらった。別に変なものは借りてないのだが、他人に自分の借りた本のタイトルを告げられるのは結構恥ずかしい。 このお金がないときに、しかも引っ越しをしないといけない時に本をなくしたのは痛い。

さようなら、コーヒーメーカー

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来週、僕は引っ越すことになり、今日から本格的に引越しの準備をすることになった。 引っ越しと言っても今回は、ほとんどの荷物を捨てる。残るものは服や少しの本ぐらいになる予定だ。だから、荷造りと言っても捨てる準備に注力を注がないといけない。うちの地区では、燃えないゴミの日は2週間に一回で、引っ越す前に燃えないゴミを捨てるチャンスは明日しかない。ということで、ありとあらゆるものをゴミ袋に詰めていった。 捨てるものの中に、一人用のコーヒーメーカーがある。使い回しが出来るフィルターが付いていて、そこにコーヒー豆を入れ、一杯分の水を入れれば温まったお湯がコーヒー豆を通ってカップに落ちてくる。非常にシンプルで、僕が大学の時から10年以上使ってきた。まだまだ現役であるが、置いていてもしょうがないので、泣く泣く捨てることになった。寂しいが仕方がない。

アル中の病院費は全額負担すべき

(元?)アナウンサーの長谷川豊さんのブログが炎上しているみたいですね。 内容はこちら。 人工透析の現場と現実 この内容を一言で言うと、 「自業自得」とはっきり判断できるレベルの人工透析患者など、全額自己負担にせよ! ということらしいです。 僕は人工透析について詳しくないのでわかりませんが、少なくとも「自業自得で起こった病気・怪我による病院の出費は全額自己負担にせよ」という意見に賛成です。 僕は、数年間病院の当直としてバイトをしていました。夜5時から朝8時まで、緊急外来の受付のバイトです。 その緊急患者の中で、アル中で倒れたって言う人って結構いるんですよ。さらに、アル厨って他の患者よりたちが悪いんです。 例えば、アル中になった人がいて、救急車を呼ぶ。救急車はほぼ自動的に5分ぐらいで来ます。 でも、その後救急車は病院を探すのです。普通に電話をして。そのときにアル中の人ってなかなか病院はとらない。暴れる場合もありますから。小さな病院だと若い医師が1人ということも普通にありますから。 ただ、救急車は患者に帰ってもらう訳にはいかない。永遠に病院を探すわけです。そのおかげで、救急車一台と隊員数名が他に使えない状態になる。 いつも救急車って電話してから来るまでの時間が話題になりますけど、それ以上に救急車が到着してから実際に病院に行くまでがめちゃくちゃ時間がかかるんです。僕が実際に電話を取った事案で、4時間も病院を探している救急車がありましたから。アル中の人は病院が断る事が多いので、その救急車問題を助長している可能性がある。 アル中って、アルコールを飲まなければ絶対に起こらないことですよね。さらに、アルコールは日常生活で絶対に取らないといけないものではなく、自ら摂るものですよね。それなら、アル中になることもならないことも自分で選択できるんです。偶然じゃないんです。 だから、国民の税金を使ってみんなが支える必要はないと思うんです。病院に行くなとまではいわないから、全額負担すべきだと思います。 このブログの ツイッター もフォローしてね。

仕事だけの人生ってやっぱり嫌だ

先日友人と会って、久しぶりに飲んだ。 その時に、僕が相手の勤務時間を聞いたら、毎日夜10時ぐらいに帰るらしい。夕飯はポテトチップスとかでごまかしているとか。 僕が、「そんな生活嫌だな」と率直に言うと、「でも帰ってもやることなくない?」と言われた。その返しに僕は返す言葉がなかった。 確かに、帰ってもテレビを見ることぐらいしかないな。でも、やっぱり僕はそういう生活は嫌だと思っている。なんでだろう。答えはまだないんだけど。

引っ越し貧乏な僕

僕は9月の終わりに、東京から引っ越します。4月に東京に引っ越してきてわずか半年での移動です。 3月の時点でも貧乏で、引っ越し代金が22万と言われ、気絶したことがあります。その後、クロネコヤマトの3万円弱の料金があってなんとか起き上がってきました。とにかく安い家賃のアパートを不動産屋と回っていたら、公衆便所のような部屋しかなくて30にもなってこんな部屋にしか住めない自分を嫌いになりました。そんな中からきれいな部屋を探したのが現在の部屋ですが、ベッドとキッチンとトイレがそれぞれ一歩で到着できるという極狭な部屋に住んでいて日々「何で生きてるんだろう」って自問しています。 安くは収めたものの、初期費用に12万ぐらいは使ったわけであります。普通の人なら会社が払ってくれるとかありますが、僕には全くそんなことはありません。それでも、働いていれば徐々にお金はたまっていきますが、僕はその前に会社をやめ、その上また引っ越してしまうのです。 しかも、今回はほぼ荷物は捨てて行きます。冷蔵庫も電子レンジも洗濯機も。それぞれ中古で買ったのに、処分するときはそれ以上の値段がかかります。何で捨てるのにお金がかかるんだコノヤロー。 ということで、僕は「引っ越し貧乏」の代名詞みたいな存在になってます。ipadも更新がなくなり、パソコンも持ってないので買わないといけない。 さらに、昨日長年使っていたカメラが壊れてしまいました。買わないといけない・・・ あー、僕はいつになったら普通に生活できるぐらいお金をもらえるんだろう。 このブログの ツイッター もフォローしてね。

釣りしてきたよ

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月曜から金曜日まで、全く誰にも会わず言葉も発しなかったので、苦しかった。 そのはらいせに、静岡県三島市にいる友人を訪ね、その人と一緒に魚釣りに行った。 場所は沼津市の静裏。車を持っていないので、今までは自転車で片道2時間かけて行っていたが、今回は電車とバスを乗り継いで行った。 最寄駅の三島二日町までとほ20分。そこから伊豆長岡駅まで行き、そこで昼食を食べた。 伊豆長岡駅は温泉街であるが、かなりの寂れ具合。駅前も食べるところはほとんどないが、パスタ屋があったのでそこで食べた。タラコのクリームソース。うまい。こういう店をやってみたい。 伊豆長岡駅から、沼津駅行きのバスに乗る。途中の獅子浜(420円)でおり、近くの釣具屋で針と餌を買った。 静浦は、長い堤防があり、釣り人のメッカのようなところ。今日も多くの人がいた。海は今まで以上に綺麗で超透明。だけど、魚は見えなかった。 みんな長〜い竿で豪快な釣りをしている中、僕たちは入門セットの釣竿で、足元に糸を垂らすサビキ釣り。餌を撒くとたくさん魚が集まるが一向に釣れない。 だけど、夜まで粘ればちょっと釣れました。 これはオオモンハタ。 これはイシダイの子供のサンバソウ。二匹とも小さいのでリリースしました。 実際に持って帰ったのは、イワシとタカベです。美味しいんだけど、小さいのでもうちょっとたくさん釣りたかったな。 楽しい土日が終わり、地獄の月曜日が始まる。ニートでも平日というのは地獄なのだ。

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